◆ 初めての海外旅行 (Jan. 1987) Mexico

08. 国境の街、ティファナ観光

月曜日, 1月 05, 1987Coyote



オンボロ・バスに揺られて10分ほどでティファナの中心部に到着・・・
周囲はスペイン語の看板、聞こえてくる言葉もスペイン語。

日本のような島国では、陸続きで回転ドアを超えただけで別の国、そしてその国では全く違う文化・人種・言葉・・・というのがなんだかとても不思議に感じた。


メインストリートには、このように海外ブランドのお店も立ち並ぶが、




殆どが、お土産や銀製品、メノウ(瑪瑙)製品を売るお店、そしてメキシカン・レストランやバーが並んでいた。そして歩道にはとにかく客引きが多い!!

「ヤスイヨ!」
「コレ、キレイヨ!」


と片言の日本語で声をかけられる。

その上

「タナカサ~ン」
「ミキサ~ン」
「フクダサ~ン」
「オオヒラサ~ン」

と日本人の名前で声をかけられるが、なぜかその苗字は当時(過去)の総理大臣の名前・・・(笑)


銀製品がとても安く、店の壁に吊り下げられたネックレスなどを見ていると、いつのまにか腕に何本ものブレスレットが付けられてしまって

「コレ、キレイネ~! コレモ、キレイヨ~!」

と気が付けば、10本ほどのブレスレットが・・・


ここでは、ディスカウントのリクエストが必須。
大概交渉していけば、最初の提示価格から3分の1ぐらいの価格まで下げて購入できる。
定価なんてあってないようなものだった。


また道には、子供たちが花や小物をバスケットに入れて売りつけてきたり、物乞いをしてくる子供も多くいて、当時高校生だった私は、そんな子供たちがとても可愛そうに思ってしまったが、引率の先生からは

「無視するか、はっきり断ったほうが良い。ひとりから買うとハイエナのように、他の子供たちが押し寄せてくる。」

と事前に注意をされていた。また

「彼らの周りをみると、子供をダシに働かせダラ~としている母親がいたりするよ」

と言われていた通り、花を売りつけてくる兄弟たちの向こうには、更に幼い子供たちをあやしている母親の姿があった。


まだウブだった高校3年生の私。しかも世間知らずの地方の田舎者。
今の高校生なんかより、ずっと物知らずだっただけに、このような光景にかなりショックを受けた。


一方で、このティファナで初めてメキシコ料理を食べた私。
辛~いサルサをつけて食べたタコス、エンチラーダなど・・・
クミンの香りが鼻に突いたものの、すぐにその臭いにも慣れ、すっかりメキシコ料理のファンに。

今ではメキシコ料理は私のお気に入りの料理のひとつ。
メキシカンは食べれば食べるほど、食欲をそそり私にとっては超危険な食べ物ではあるが、結構頻繁に自宅でもメキシカンもどきの料理を作ることがある。


こうして、ティファナ観光が終了。



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